浅利与一公中央市 弓道部
浅利与一
浅利氏は甲斐源氏の一族です。
甲斐国八代郡浅利郷、現在の山梨県中央市浅利一帯を本拠としました。
1149年浅利与一は源清光の十一男として誕生しました。
弓の名手であり壇ノ浦の戦いなどで戦功をたてました。
平家物語では弓の名手として、吾妻鑑には頼朝の臣下としてたびたび登場する実在の人物です。
壇ノ浦
浅利与一は平家物語に登場します。
壇ノ浦でのエピソードが有名です。
「平家方に射返すほどの者がいるならば、射返して頂こう」
平知盛は、新居紀四郎親清に射返す事を命じた。
矢の長さは十三束三伏である(こぶし13握りの幅に指3本の幅を加えた長さ。通常より長い矢)。
平知盛は、伊予国住人・新居紀四郎親清に射返す事を命じた。
親清の矢はかるがると義盛より後方へ届いた。
これを見た周囲の軍勢は「義盛もとんだ恥をかいたものだ」と笑った。
今度は親清から自分の名前を書いた十四束三伏もある矢が、三町(一町=109m)も先に射かけられて来た。
そして、義盛と同じように「その矢を返して頂こう」と叫んだ。
義経は後藤兵衛実基を呼んで「我が軍に、これを射返せる者はいないか」と尋ねた。
後藤兵衛実基は、「甲斐源氏・浅利与一義成殿が弓の強さでは随一かと。」と答えた。
浅利与一を呼んだ義経は同じ源氏の流れをくむ年上の与一に、丁寧な言葉で「向こうから射返せと呼んでおるがそなたがやっては下さらぬか。」と尋ねた。
その矢を見た与一は「この矢は、弱く短いので自分の矢を使います」と言い、九尺の弓に十五束の矢をつがえ、四町先の船の舳先に立っていた新居紀四郎親清を射通した。
与一は、強弓・遠矢の名手で、ニ町先の走る鹿を外したことが無かったと言う。
甲斐源氏の武将 浅利与一物語
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©中央市教育委員会
浅利与一公の墓所。
菩提寺の大福寺近く
弓の名手は中央市で静かに眠っています。
中央市から再び日本一の弓の名手が生まれるといいですね。
中央市シャトルバス
中央市のバスは浅利与一公です。
浅利弓道場中央市 弓道部

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浅利神社

浅利神社

浅利神社
アクセス
住所 | 〒400-1514 中央市浅利2974番地1 浅利諏訪神社境内 |
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与一弓道場中央市 弓道部

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与一弓道場

与一大会
毎年秋に、浅利与一弓道大会が開催されます。
アクセス
住所 | 〒400-1513 山梨県中央市大鳥居1619-1 |
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